はじめに
自動思考とは認知行動療法の言葉です。
「現実の受け取り方」や「ものの見方」を“認知”と言います。
認知には何かの出来事があったときに瞬間的に浮かぶ考えやイメージがあり、これが「自動思考」です。「自動思考」の多くは経験や環境の中で知らず知らずに身につけています。「自動思考」が極端なものになっていると物事の捉え方が偏り不都合な気分の増強やメンタル症状に繋がります。
認知療法の基礎にある認知モデルは、認知と感情・行動との関連についてこう考えます。
「ある個人の感情と行動は,その人が自分のまわりで起こる出来事をどう考えるか(認知)によって規定される」。
認知療法で重視される認知は自動思考とスキーマです。自動思考は、何らかのきっかけがあるとそれに伴って自動的・習慣的に、意図せず脳裏に浮かぶ思考やイメージのことです。
スキーマあるいは信念は過去の経験から形成され、恒常的で、個人に特異的な認知です。
スキーマの活性化の結果生じる自動思考の質的パターンを「認知の誤り(Cognitive Error)」として類型化しています。
落ち込むのはあなたではなく認知の問題
自動思考で「前向きになれない私が悪い」と考えてします人がいますが、あなたが悪いのではなく、【認知】に修正が必要ということです。
仏教の五蘊の中に想蘊がありますが、これはイメージや常識ととらえてもらって問題ありません。
常識やあなたのイメージには実体がないです。
つまりあなたの認知した出来事に本来良いも悪いもないのでとらえ方次第ということです。
スキーマという固定観念が自動思考で良い悪いという感情を作ってしまっています。
仏教と認知行動療法
根底に「自分というものへの見方のゆがみ」があるとして、これを仏教では「無明」といいます。
無明から派生する種々の「見解」に執著し、中道でない見方から、妄想し(身業・口業・意業の3つの業のうちの意業)自分や他者を苦しめる感情を起して苦しみ、他者を害する(自分の利欲をむさぼり、他者をいじめる)こともあります。
心の病気や、他者を苦しめたりします。種々の苦悩は、こうした構造を持つ 自動思考は、ある見解(悪見などの固定観念も含む)に執著することから起きる煩悩によって思考する意業です。煩悩は、自分、他人に苦悩をもたらす心作用です。
「無明」が最も深層のスキーマ(固定観念)です。
スキーマ(固定観念)を認知のゆがみと表現しましたが、仏教的な認知のゆがみとは「中道ではない見方」です。
両極端によるのではなく中道に励みなさいという教えですが、体をひどく痛めつける苦行主義と快楽を貪る快楽主義という両極端の修行の仕方を排除して、そのどちらにも偏らないようにすることです。
自動思考においてもポジティブやネガティブに偏るのではなく、あくまで生じた現象は現象でしかなく、感情とは切り離さないといけないということです。
認知療法では、固定観念(スキーマ)、認知のゆがみは、生得的要因と環境的要因があります。
仏教でも、無明、煩悩などは先天的なもの(「倶生起」という)と、後天的なもの(「分別起」という)があります。
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